2011年 08月 31日
学んだことはやってみようよ!:儒服する者一人のみ(荘子より) |
今日で8月も終わり。
庭では、コウロギかなんか秋の虫が鳴いてます。
・・・まぁ、クツワムシとかだったら、石投げて追い払いますけど(笑)
コウロギとかウマオイとかなら…うるさいけど、ぎりぎりセーフにしときます(爆)
さて、私は、本を読みます、って、基本的に誰でも本は読むでしょう。
ただ、たぶん、(うぬぼれかもしれませんが)比較的、多読の方に入ると思います。
ビジネス書しかり、哲学書しかり、フィクションからノンフィクション。
ビジネス関係の本が多いのは仕事柄ですが、これからは人間性に視点を置いた本を読みたいなと思っていました。
その中に「荘子」があります。
荘子は、自然無為を基本として、自分のあるがままに生きるべきだと説いた人です。
でも、その実際は、かなりの攻撃的な性格の持ち主だったらしく、本を読んでるとその毒気に当てられたことも…(汗)
「荘子」の中に、読書の無意味さを説く言葉として「学を絶てば憂いなし」があります。これなどは、額面通りにとっては「勉強してもなーーんの意味もないよ」となってしまいますね。
では、本当にそうなのでしょうか?
ちょっと長いけど読んでみてください。
*本当は読み下し文で書こうかとも思ったのですが、わかりやすい方が良いかなと。
荘子は、昔、魯の哀公と面会をしたそうです。
その時、哀公は荘子に対して「我が国には儒学を修めている学者がたくさんいる。」と誇ったそうです。
それに対して、荘子は例のごとく議論を始めました。
荘子「あなたは今、魯の国に儒学者が多いと言いましたが本当でしょうか?」
哀公「それは間違いない。国内を見渡しても儒服を着た者がたくさんおるではないか。」
荘子「その話は、ちょっと疑わしい。というのも、儒者の道を行っている人が必ずしも儒者の服を着るとは限らない。同様に、儒者の服を着ている者が、必ずしも儒学の道を実践しているとは限らない。もしあなたが、私のこの言葉に疑問を持たれるならば、国中に『我が魯国において、儒者の道を実行もしないで儒服を着ておるものがいたら殺す』と布告してみてはどうでしょう。」
・・・その布告後、5日もたたないうちに魯国で儒服を着る人は一人を除いていなくなったそうです。
つまり、儒者を装う人間はいたが、儒学の道を実行する人間は一人しかいなかったというオチです。
・・・・
「知行合一」という言葉があります。
知識は、その実践(行動)に結びついてこそ役に立つ。という意味です。
この荘子の話もまさにそうで、学問をして儒学について知っているものはたくさんいるが、それを実践している者は少ない。だから、たとえ万巻の書を読んだところで、それが果たして役に立つものではない。世の中の読書家というのはえてしてこういうものではないかと、バッサリ!(笑)
だからこそ、先の「知行合一」であることが、学問の本質であると考えるのです。
・・・・・
各地でTRIZの話をさせていただきます。
その中で、幾何の方が仕事に実践してくださっているのか…。
荘子を読んで改めて考えさせられた次第です。
もちろん、自分自身の読書が、どれだけ現実の行動に結び付けられているのか?
反省しきりです。
ただ、私はTRIZを知って自分で実施してきたからこそ、皆さんにコンサルティングできると思います。
タグチメソッドにしてもしかりです。自分で「なぜ、SN比が違うんだろう?この条件だとどうなんだろう?」と自分なりにいろんな仮説を立てて実践してきました。
…これを書きながら、じゃ、自分が学んで実践したことしか教えられないのかいという疑問も出てきましたが、これについてはまた日を改めて書きます。
各地で行われている読書会でも、このようなこと(実践)を意識して行われると良いなと思いました。
では、また。
庭では、コウロギかなんか秋の虫が鳴いてます。
・・・まぁ、クツワムシとかだったら、石投げて追い払いますけど(笑)
コウロギとかウマオイとかなら…うるさいけど、ぎりぎりセーフにしときます(爆)
さて、私は、本を読みます、って、基本的に誰でも本は読むでしょう。
ただ、たぶん、(うぬぼれかもしれませんが)比較的、多読の方に入ると思います。
ビジネス書しかり、哲学書しかり、フィクションからノンフィクション。
ビジネス関係の本が多いのは仕事柄ですが、これからは人間性に視点を置いた本を読みたいなと思っていました。
その中に「荘子」があります。
荘子は、自然無為を基本として、自分のあるがままに生きるべきだと説いた人です。
でも、その実際は、かなりの攻撃的な性格の持ち主だったらしく、本を読んでるとその毒気に当てられたことも…(汗)
「荘子」の中に、読書の無意味さを説く言葉として「学を絶てば憂いなし」があります。これなどは、額面通りにとっては「勉強してもなーーんの意味もないよ」となってしまいますね。
では、本当にそうなのでしょうか?
ちょっと長いけど読んでみてください。
*本当は読み下し文で書こうかとも思ったのですが、わかりやすい方が良いかなと。
荘子は、昔、魯の哀公と面会をしたそうです。
その時、哀公は荘子に対して「我が国には儒学を修めている学者がたくさんいる。」と誇ったそうです。
それに対して、荘子は例のごとく議論を始めました。
荘子「あなたは今、魯の国に儒学者が多いと言いましたが本当でしょうか?」
哀公「それは間違いない。国内を見渡しても儒服を着た者がたくさんおるではないか。」
荘子「その話は、ちょっと疑わしい。というのも、儒者の道を行っている人が必ずしも儒者の服を着るとは限らない。同様に、儒者の服を着ている者が、必ずしも儒学の道を実践しているとは限らない。もしあなたが、私のこの言葉に疑問を持たれるならば、国中に『我が魯国において、儒者の道を実行もしないで儒服を着ておるものがいたら殺す』と布告してみてはどうでしょう。」
・・・その布告後、5日もたたないうちに魯国で儒服を着る人は一人を除いていなくなったそうです。
つまり、儒者を装う人間はいたが、儒学の道を実行する人間は一人しかいなかったというオチです。
・・・・
「知行合一」という言葉があります。
知識は、その実践(行動)に結びついてこそ役に立つ。という意味です。
この荘子の話もまさにそうで、学問をして儒学について知っているものはたくさんいるが、それを実践している者は少ない。だから、たとえ万巻の書を読んだところで、それが果たして役に立つものではない。世の中の読書家というのはえてしてこういうものではないかと、バッサリ!(笑)
だからこそ、先の「知行合一」であることが、学問の本質であると考えるのです。
・・・・・
各地でTRIZの話をさせていただきます。
その中で、幾何の方が仕事に実践してくださっているのか…。
荘子を読んで改めて考えさせられた次第です。
もちろん、自分自身の読書が、どれだけ現実の行動に結び付けられているのか?
反省しきりです。
ただ、私はTRIZを知って自分で実施してきたからこそ、皆さんにコンサルティングできると思います。
タグチメソッドにしてもしかりです。自分で「なぜ、SN比が違うんだろう?この条件だとどうなんだろう?」と自分なりにいろんな仮説を立てて実践してきました。
…これを書きながら、じゃ、自分が学んで実践したことしか教えられないのかいという疑問も出てきましたが、これについてはまた日を改めて書きます。
各地で行われている読書会でも、このようなこと(実践)を意識して行われると良いなと思いました。
では、また。
by kuwahara_TRIZ
| 2011-08-31 20:49
| 仕事のやり方