2011年 05月 23日
暗黙知をどのようにして言葉にするのか? |
暗黙知。
実はこの言葉は、野中先生が造られた言葉だと思ってました。
暗黙知とは、言葉にできない知識であり、技能や知恵。
つまり、その人の技みたいな物ですね。
それを、いろんな人が使える形にすることが暗黙知の形式知化という事です。
例えば、レポートなどで文章化して伝える。
すなわち、自分が持っている様々なこれまでの経験に基づいた知識や知恵。
これを「言葉」と言う形に本当に出来るのか?
・・・・・
ドイツにポランニーという学者がいました。
元々は化学者でした。
(触媒の)吸着に関する研究では、ノーベル賞をもらうはずの人だったと。
でもそれを拒否して、化学分野からいろいろな事で大きな成果を出しつつ、最後は哲学者への遍歴。
・・・・・
いま、彼の書籍をいくつか読んでいます。
一言で言うと、深い。 そして、理路整然なんだけど、解釈が難しいと。
とは、言っても暗黙知って、野中先生の知識創造社会の中で暗黙知は形式知化されて成果を出し、それがさらに暗黙知として蓄積されることで、さらなる発展を遂げると記されていることで、有名な言葉です。
それは、いわゆるSECIモデルと言われています。
ポランニーは、暗黙知という言葉は使っていますが、形式知とは表現してません。
なぜか?
私なりの解釈ですから、違うのではないかというご意見やサジェスチョンをいただく事を承知で書いてみます。
彼の主張は大きく2つではないかと。
一つは、暗黙知において、大切なことは現象に対する意味の位置づけが大切だということです。
一般的に、というか私は、現象を説明することに対してその意味というものは外せないものだと考えていました。
つまり、現象や事象と意味とは同じ次元だと思っていたことになります。
しかし、ポランニーは、それは違うと。
そこには、暗黙知としての次元が存在する。
現象と意味とは明らかに次元が違うものだというのです。
意味が現象に対しては上位に位置するべきだと。
逆にいえば、意味(私はこれを「目的機能」と同じかなと思ったのです)が存在しない現象はあり得ない。
自分の視座をどこに置くかで、物事の捉え方が変わる。その物事の捉え方こそが暗黙知であるからこそ、次元というものが存在するのだと。
もう一つは、暗黙知を言語化するに当たっては細心の注意が必要だということです。
言葉とは、単なる言語とは違うものであって、いわゆるノンバーバルな世界、想いやしぐさなど多くの情報を持って初めて成り立つ。
暗黙知も同じで、表出化したモノが言語だけではなくいろいろなものを包括した情報だという考え方と理解しました。
だから、簡単に「暗黙知を形式知にする。」なんて言えない。
なぜなら、言語とは恣意的なものを多く含み、それですべてを伝えることはできないから。
私は、暗黙知をどのように形式知化してクライアントに伝えるかに心を砕いてきたつもりでしたが、これを読むとそもそもそれはあり得ないということでしょうか?
・・・・
でもね、わかるような気がするのですよ。
言いたくても、伝えたくても伝わらないことって、実際にあるから。
あるクライアントに言葉として伝えたことが、他のクライアントには別の表現になってたりするから。
まだまだ、読み込んでいきたく、読みようによっては別のことを見せてくれるものなのかなと感じました。
言葉足らずで、言いたいことの3割もかけてないと思います。
また、一定の理解が進んだらまた書いてみたいと思いました。
・・・・
南九州は梅雨入りしたそうです。
今年の日本は、これからいろいろな心配事があります。
でも、みんなで協力していきましょう!!!
では、また!
実はこの言葉は、野中先生が造られた言葉だと思ってました。
暗黙知とは、言葉にできない知識であり、技能や知恵。
つまり、その人の技みたいな物ですね。
それを、いろんな人が使える形にすることが暗黙知の形式知化という事です。
例えば、レポートなどで文章化して伝える。
すなわち、自分が持っている様々なこれまでの経験に基づいた知識や知恵。
これを「言葉」と言う形に本当に出来るのか?
・・・・・
ドイツにポランニーという学者がいました。
元々は化学者でした。
(触媒の)吸着に関する研究では、ノーベル賞をもらうはずの人だったと。
でもそれを拒否して、化学分野からいろいろな事で大きな成果を出しつつ、最後は哲学者への遍歴。
・・・・・
いま、彼の書籍をいくつか読んでいます。
一言で言うと、深い。 そして、理路整然なんだけど、解釈が難しいと。
とは、言っても暗黙知って、野中先生の知識創造社会の中で暗黙知は形式知化されて成果を出し、それがさらに暗黙知として蓄積されることで、さらなる発展を遂げると記されていることで、有名な言葉です。
それは、いわゆるSECIモデルと言われています。
ポランニーは、暗黙知という言葉は使っていますが、形式知とは表現してません。
なぜか?
私なりの解釈ですから、違うのではないかというご意見やサジェスチョンをいただく事を承知で書いてみます。
彼の主張は大きく2つではないかと。
一つは、暗黙知において、大切なことは現象に対する意味の位置づけが大切だということです。
一般的に、というか私は、現象を説明することに対してその意味というものは外せないものだと考えていました。
つまり、現象や事象と意味とは同じ次元だと思っていたことになります。
しかし、ポランニーは、それは違うと。
そこには、暗黙知としての次元が存在する。
現象と意味とは明らかに次元が違うものだというのです。
意味が現象に対しては上位に位置するべきだと。
逆にいえば、意味(私はこれを「目的機能」と同じかなと思ったのです)が存在しない現象はあり得ない。
自分の視座をどこに置くかで、物事の捉え方が変わる。その物事の捉え方こそが暗黙知であるからこそ、次元というものが存在するのだと。
もう一つは、暗黙知を言語化するに当たっては細心の注意が必要だということです。
言葉とは、単なる言語とは違うものであって、いわゆるノンバーバルな世界、想いやしぐさなど多くの情報を持って初めて成り立つ。
暗黙知も同じで、表出化したモノが言語だけではなくいろいろなものを包括した情報だという考え方と理解しました。
だから、簡単に「暗黙知を形式知にする。」なんて言えない。
なぜなら、言語とは恣意的なものを多く含み、それですべてを伝えることはできないから。
私は、暗黙知をどのように形式知化してクライアントに伝えるかに心を砕いてきたつもりでしたが、これを読むとそもそもそれはあり得ないということでしょうか?
・・・・
でもね、わかるような気がするのですよ。
言いたくても、伝えたくても伝わらないことって、実際にあるから。
あるクライアントに言葉として伝えたことが、他のクライアントには別の表現になってたりするから。
まだまだ、読み込んでいきたく、読みようによっては別のことを見せてくれるものなのかなと感じました。
言葉足らずで、言いたいことの3割もかけてないと思います。
また、一定の理解が進んだらまた書いてみたいと思いました。
・・・・
南九州は梅雨入りしたそうです。
今年の日本は、これからいろいろな心配事があります。
でも、みんなで協力していきましょう!!!
では、また!
by kuwahara_TRIZ
| 2011-05-23 21:38
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