2011年 03月 27日
究極の理想解? |
今日は、午後からSSPの浜田さん(http://www.slapstick-photo.com/blog/)に、プロフィール写真を撮ってもらって、また来年度の表情というものを作り上げようと思いました。
ブログのプロフィール写真は、その中の一コマです。
これだけ見ても、いろいろなニュアンスと表情の変化を観察しながら、決定的な瞬間を狙っているんだなと思いました。
*浜田さん、ありがとうございます。
さて、今月、私のブログを訪れている方の検索キーワードは「究極の理想解」です。
TRIZは、発明原理や標準解などの手法としての面白さというか、斬新さがクローズアップされていますが、私は本当のところは、2つの思想的な部分、つまり「心理的惰性の打破」と「システムの思想性の追求」が大切なんだと思っています。
それをベースとしてこそ、TRIZの手法は生き生きと活躍するのだと考えています。
では、究極の理想解とは何か?
それは、「顧客目線で必要とされている機能を探す」事に他ならないのではと。
つまり、冷蔵庫は、「食品をできるだけ長持ちさせたい」から購入するわけであって、決して冷蔵庫という商品がほしいわけではない。
掃除機は、「部屋を清潔にしておきたい」というニーズにこたえるためであって、決して掃除機がほしいわけではない。
ただ、いずれも現時点では顧客の満足する機能を備えている商品だから購入されていると思うわけです。
では、「食品を長持ちさせるためのほかのシステム」が開発されたら?
「室内を清潔にするための他のシステム」が開発されたら?
と考えるのが、究極の理想解の入り口です。
誤解を恐れずに言えば、自分たちが今、一生懸命開発している商品の存在意義はなんなんだと問うことになるのかなと思っています。
室内を清潔にするために、掃除機以外の方法、例えば「微生物を使って」室内環境をクリーンにする技術が開発されれば、当然掃除機の存在価値は薄れるわけですね。
自分たちの商品が、市場にどのような価値を与えているのかを考えて、もしかしたら自分たちの商品に置き換わる新しいシステムの脅威をイメージし、それを凌駕するものを考える事。
それが、究極の理想解の本質だと思っています。
アルトシュラーは、究極の理想解を考えるための質問票を作りました。
内容は、禅問答みたいに、つかみどころのないところをさまよいながらも、技術者の経験知識、およびそこから導かれるひらめきを信じているようにも思えます。
是非、あきらめずに考え続けること。
結局は、そこに行きつくのかなと思いました。
・・・・もちろん、根性論ではなく技術者の信念や柔軟性を信じてのことです。
では、また。
ブログのプロフィール写真は、その中の一コマです。
これだけ見ても、いろいろなニュアンスと表情の変化を観察しながら、決定的な瞬間を狙っているんだなと思いました。
*浜田さん、ありがとうございます。
さて、今月、私のブログを訪れている方の検索キーワードは「究極の理想解」です。
TRIZは、発明原理や標準解などの手法としての面白さというか、斬新さがクローズアップされていますが、私は本当のところは、2つの思想的な部分、つまり「心理的惰性の打破」と「システムの思想性の追求」が大切なんだと思っています。
それをベースとしてこそ、TRIZの手法は生き生きと活躍するのだと考えています。
では、究極の理想解とは何か?
それは、「顧客目線で必要とされている機能を探す」事に他ならないのではと。
つまり、冷蔵庫は、「食品をできるだけ長持ちさせたい」から購入するわけであって、決して冷蔵庫という商品がほしいわけではない。
掃除機は、「部屋を清潔にしておきたい」というニーズにこたえるためであって、決して掃除機がほしいわけではない。
ただ、いずれも現時点では顧客の満足する機能を備えている商品だから購入されていると思うわけです。
では、「食品を長持ちさせるためのほかのシステム」が開発されたら?
「室内を清潔にするための他のシステム」が開発されたら?
と考えるのが、究極の理想解の入り口です。
誤解を恐れずに言えば、自分たちが今、一生懸命開発している商品の存在意義はなんなんだと問うことになるのかなと思っています。
室内を清潔にするために、掃除機以外の方法、例えば「微生物を使って」室内環境をクリーンにする技術が開発されれば、当然掃除機の存在価値は薄れるわけですね。
自分たちの商品が、市場にどのような価値を与えているのかを考えて、もしかしたら自分たちの商品に置き換わる新しいシステムの脅威をイメージし、それを凌駕するものを考える事。
それが、究極の理想解の本質だと思っています。
アルトシュラーは、究極の理想解を考えるための質問票を作りました。
内容は、禅問答みたいに、つかみどころのないところをさまよいながらも、技術者の経験知識、およびそこから導かれるひらめきを信じているようにも思えます。
是非、あきらめずに考え続けること。
結局は、そこに行きつくのかなと思いました。
・・・・もちろん、根性論ではなく技術者の信念や柔軟性を信じてのことです。
では、また。
by kuwahara_TRIZ
| 2011-03-27 23:13
| TRIZ